日本橋モラロジー事務所

NIHOMBASHI

MORALOGY

日本橋モラロジー事務所からの大切なお知らせです

「伝統」

Akira.Ohkubo6月1日公益財団法人モラロジー道徳教育財団の伝統祭に参加いたしました。自然が万物を育てるように、いついかなるときも私たちが生きていくことを根底から支え、慈しみ育ててくださっているさまざまな恩人の系列をモラロジーでは「伝統」と読んでいます。そして、伝統祭は人類の安心・平和・幸福の実現という、目的を再確認しその実現に向けて力を尽くすことを決意しる日。横軸は他者への思いやりを尽くし、縦軸は伝統に対して感謝・報恩すること。この縦軸、国の伝統や家の伝統に感謝いたします。

代表世話人のコラム

令和6年1月『おもてなし』

コロナ禍も終息気味ということで、第24回伊勢参拝に事務所の方6名と参拝してまいりました。今年は暖冬のお陰か、紅葉が例年より遅く大変きれいな紅葉の中での参拝でした。日本橋事務所の伊勢参拝は事務所50周年記念時に父が始めた行事。その時に山中隆雄氏(伊勢神宮評議員、伊勢観光協会会長、モラロジー財団評議員を歴任)に伊勢を案内され、以来参拝時には御案内・御講話を頂きました。今回は怪我のためお願いできないということで伊勢事務所の澤村代表にご相談したところ、代表自らお車でご案内頂けることになりました。土曜日の一日、私たちのためにお車で御案内頂くことに、深い感謝の気持ちで一杯でした。このおもてなしの心は伊勢地方に昔から続いていることに気づきました。中山隆雄著の日本人の心を伝える伊勢の神宮に「文政13年(1830年)我が国の人口が三千万人とすると、その六分の一の四百九十八万人が遠い道を歩いて伊勢参拝に来られたということになるわけで、伊勢の神宮を敬慕した国民が当時、いかに多かったかが偲ばれます。また、その膨大な参拝者の方々に対して、新領民がいかに心を込めて大切に接したか、そして少しでも満足をと念じたかという昔の心が懐かしく思い返されてなりません」。伊勢の家の玄関には一年中しめ縄が飾られています。その意味はその昔、伊勢を旅していた須佐之男命(スサノオノミコト)が夕暮れに泊まるところがなく困っていたところ、蘇民将来という男が貧しいながらも一夜の宿を貸しもてなしました。須佐之男命はこれを喜び、一宿の恩として『蘇民将来の子孫と書いて茅の輪を門口にかけておけば子孫代々病を免れる』と言い残し、以来、蘇民家は疫病を免れ代々栄えました。この言い伝えにあやかって、伊勢の人々は「蘇民将来子孫家門」の札をしめ縄につけて、一年中、門口に飾るようになったそうです。伊勢にはこのような歴史風土が残っている。澤田代表のご至誠もこのような歴史の中から伝えられているのだと感じました。これこそ日本の本物の文化であり我々が見習うべき至誠だと学びました

令和5年12月『有り難し』

先月の大久保塾で中山さんが話題にした、ハーバード大学のジョン・マーク・ランジーア教授に対して「ベトナムが日本を追い越すことができますよね?」と尋ねた内容を話してくれました。教授の結論は「日本の経済・文化の発展は何千年も続いてきた日本人の高潔な精神という種がついに花を咲かせた結果だ。つまり、日本の発展の背後には高尚な精神と、文化的伝統が存在しているので模倣しても追い越すことは出来ない。」と講義をされたそうです。この日本の高尚な精神と伝統文化を日本人自身が自覚しなければならないと思います。10月の文化講演会の小林澤應録事の法話の中にも在りましたが、その高潔な精神の一つが法句経にあると思いました。「有ること難し」法句経に出てくる言葉として「人に生まるるは難く、いま生命有るは難し。世に佛有るは難く、佛の法を聞くも有り難し」これを四難の徳と言うそうで、人間として生まれること、生きていること、佛にあうこと、法を聞くことは有難いこと。友松圓諦著書の法句経講義に「物に対する有り難さは日本人の持つ、しっとりとした深みのある潤いのある倫理観から生まれた。そして、物の受け取り方の上に重点を置いた心持を見直したい。紙一枚、本一冊をもったいなく頂戴した心持、有難いを見直したい」と言っています。11月8日に義母が93歳で他界しました。父方の両親を見取り、ご主人を見取り93歳まで明るく過ごされていました。お医者様は亡くなる原因はなく、老死と判断されました。現在、死因の多くが癌や心臓疾患・脳疾患とさまざまな病気なのに、人生を全うされて他界された義母。まさに天寿を全うされました。天から授かった命を全うされたと思います。死に対しても人生を全うできた母の人生は「感謝」ではないかと思います。生きていることに感謝し、死に対しても感謝できる。そんな日本人の深みのある独特な考え方。人様のお役に立ち、毎日幸せな日々を送り、人生を全うすると

令和5年11月『徳は得なり』

学祖廣池千九郎は「道徳科学の論文」を出版するにあたって国際的に評価の高い学者の新渡戸稲造氏に序文をお願いしました。その序文には、「倫理道徳の観点から人類の平和を実現しようとする廣池博士はこの書を著して、人生に処ずる究極の原理を示され、人間の幸福を増進する秘訣を授けられたが、ただそれのみでは満足せられず、自分の説くところ、講ずるところを自ら実際に行っておらるるのである。博士はこの最高道徳の与うる結論を実地に応用して、社会を道徳化させんとした。(論文序文の一部を要約)」その新渡戸稲造氏の隋録「修養」に「徳」の話が書かれています。「徳には名誉も黄金も及ばぬ保存力と快楽とがあるものと見ゆる。金ある者は、あるいは失敗して一夜にこれを失うことがある。知識は病気のために忘れることもある。人に嫉まれたりうらまれたりすることがある。しかし、徳の人は火災に喪失するの憂いもなく、人に嫉まれることもない。よしやかかることがあっても、かかる妬みは長続きせぬ。(中略)徳のある人は他人を妬み、陥れる必要もなく、平和に無事に世を送る。心を痛むごとき災難があっても、喜んで世を渡る。かかる徳の人は巨万の富を積むも、また数枚の学位の証書も、はたまた官等を進める辞令書も、到底買うことができぬ満足と快楽を得るものである。」東日本大震災の翌年に東松島の講演会に妻とお話ししに行き、代表の故大槻さんと懇意にさせていただきました。3年後に新しい安全な地域に家を立てられたので、お祝いにあがりました。その時に、大槻さんの奥様から震災時のお話を戴きました。「大槻代表は津波があったときに車に乗っていて流され、竹藪に車が引っ掛かり助かった。自分は非難した体育館で津波に遭い、もう少しのところでギャラリーから網を出してもらい助かった。そして、仙台の塾に行っていたお孫さんは、地震で電車が高台に留まり助かった。我が家の徳はすべて使い果たしてしまった。これから徳積みに頑張らなくてはとおっしゃていました。安岡正篤は「徳は得なり」と言っています。徳を積めば得があると信じています。

令和5年10月『儒教と道徳』

7月の大久保塾で最高道徳の格言「公平を尊ぶも円満を失わず」を皆さんと学びました。私の資料(渋沢栄一の論語講義)に、『或るひと曰く「悪意にも善意をもって報いよ」と言われましたが、いかがでしょうか。そうたずねると孔子は「善意には何をもって報いるのか。悪意には理性をもって報い、善意には善意をもって報いるのが良い。』とあります。モラロジーでも不道徳の相手には我々が日常使っている道徳で対応しなさいと言われています。つまり、不道徳な者、法を犯した者については法律等で対応しなさいということだと思います。この資料を作っているときに思い出したことがあります。私達の恩師、故石渡義一の言葉です。石渡先生は私の大学・大学院を通しての指導教官で、我々夫婦の仲人。そして、妻が大学を卒業する際に美しの森幼稚園にお誘いいただいた先生です。モラロジーを学び始めたあるとき、孔子の考え方はどうですかとお聞きしました。すると先生は儒教はダメだ、道教が良いとお答えになりました。その後、何となく儒教は人を治める学問。道教は人の生き方を言っていると理解していました。しかし、先生が言った本当の意味が分からず現在まで来ました。そして、この問題で老子(道教)の教えに気づかされたました。それは、『無為(人為的な細工をしないこと)を自分の生き方とし、無事(何事もしないこと)を自分の営みとし、無味(好悪をもたぬこと)を自分の感情とする。小さなものには大きなものを与え、少ないものには多くして返してやる。恨みのあるものには、徳をもって報いてやる』という考え。不道徳な者、法を犯した者に対しても徳を以って対しなさいと言っているのです。モラロジーの考え方も「もし相手方が甚だ不正である場合には、やむを得ず純正義をもってこれに対抗し、もしくはこれを処分する。この場合において外面には、たとい排斥・告訴・訴訟もしくは闘争的態度にで対応するにせよ、その精神作用においては、常に必ず心の慈悲をもってこれに対せねばならない。」 儒教的対応と道教的対応。結局、最終的には相手に対して慈悲の心をもつことが結論でした。

令和5年9月『終戦記念日に思うこと』

終戦記念日の前日、幹堂理事長・財団の方々・東京ブロックの世話人方と靖国神社正式参拝をさせていただきました。英霊への感謝とこの戦争に対して考える機会を戴きました。その後、浅草駒形の前川にて鰻をご馳走になりました。駒形橋のたもとで隅田川が目の前に見えました。向こう岸の本所は母が新婚2日目に東京大空襲に遭った場所。何年か前にその時の話を聞きました。空襲で周りは火の海。どこをどうやって逃げたか分からなかったが、やっと思いで助かったと話していました。昔から亡き父も母もこの戦争について話したがらなかった気がします。やはり、昭和の時代にはこの戦争に対して否定的な雰囲気があったので、話さなかったのではないかと思います。私達も学校では第二次世界大戦もしくは太平洋戦争と習いました。戦前、戦争の名称は柳条湖事件に始まる戦争を「満州事変」。盧溝橋に始まる日中全面戦争は「支那事変」。日米戦争は「大東亜戦争」と名づけられました。「大東亜戦争」については、敗戦直後、「太平洋戦争」は連合国軍総司令部が「大東亜戦争」の使用を禁止したことで、「太平洋戦争」が主流になりました。背景には「大東亜戦争」の呼び名に対して、侵略戦争を肯定するという意味合いが強いという意見が根強かったことがあるそうです。両親が話題にしなかった理由もこの辺りにあると思います。そして、天皇のお言葉は「先の大戦」と深い意味を込めたお言葉を使われています。昭和天皇も戦犯とされた東条英機も和平主義者と言われています。それなのに戦争に向かわざろうえなかった世界情勢をもっと我々国民は知らなければと痛感しました。辻田真佐憲氏は著書に「大日本帝国は神話の国」、戦前の日本は天皇とその祖先に忠、親と祖先に孝を大事にしていたと述べられています。すべてに戦前回帰とは思いません。しかし、戦前を否定することは今の自分たちの親・祖先を否定することになります。廣池千九郎の考え「伝統尊重」を大事にすることそのものだと思いました。戦前の我が国の考え方をもっと伝えていかなくては・・・。

令和5年8月『前進すること』

6月の月刊誌「れいろう」に中山理元麗澤大学前学長の投稿「もっと欲しいをやめれば、もっと美しい景色が見える」の中に中山先生は大の甘いものが好きで糖尿病の初期症状が出てしまった。そこで、甘いものは今後一切食べないと決心したそうです。そして、“足るを知る”の説明をされました。私もオリーブの勉強会で「れいろう」を使用しているので、この“我唯足知”でお話をしました。守屋洋著の「老子」には、「人を知るものは智なり、自ら知るものは明なり、人に勝つものは力あり、自ら勝つものは強し、足ることを知る者は富み、強めて行う者は志有り、其の所を失わざる者は久しく、死して而も亡びざる者は寿し。つまり、他人をわかるのは智慧であるが、自らをわかるのはさらにすぐれた知である。他人に勝つのは力だが、自分に打ち勝つのは本当の強さである。足るを知ることが真に富むことであり努力して実行する志を持つ人である。自分の依るべき立場を失わないものは永続し肉体はなくても滅びないものは、真の永続である。」とあります。そしてさらに、足るを知った生き方をすれば老子の言うところである精神面での豊かさのみならず、物質面や更には人間関係においても充実していくと訳しています。中山前学長はスイーツ断捨離を断行できたのは自分に打ち勝つ本当の強さをお持ちだからであり、心穏やかになったそうです。私は何年か前にこの足るを知るを勉強会で説明しましたが、その時は物質面や経済面を考えお話しました。その時の自分が物質的・経済的に恵まれ満足していたものだから精神的、心の満足の説明が抜けていたと思います。老子の考えは足るを知ることでまず精神面での豊かさが現れ、物質面・人間関係でも豊かになるということだと言っています、物質面や経済面の満足は一時的なもので、やはり精神面の足るを知ることが目的を持って努力し続けられるということ。要は心の問題で満足とは満ち足りているということ。不満とは満ち足りていいないということ。精神的な満足の重要性を再確認させていただきました。ただ、私には毎日の生活の中では難しい宿題です。

令和5年7月『人生の意味』

モラロジーでは「幸福」とは健康・長命・開運・子孫繁栄と言っています。モラロジーの学びによって幸福になると言い切るのが難しい時代。なぜなら、平成の7年ごろのあの新興宗教が幸福を売り物に信者を集め悪の限りを尽くしたため、学びにより「幸福」になるという事を言えない時代が続きました。しかし今、モラロジーを学ぶことによって幸せになることに確信がもてます。なぜなら、幸福の正体を科学的に分析できる時代が来たからです。樺沢紫苑によると幸福感を感じる脳内物質には主に三つがある。私たちが普段感じる「幸福」はドーパミン、セロトニン、オキシトシンが十分に分泌地されている状態です。セロトニン的幸福、オキシトシン的幸福、ドーパミン的幸福に分類できるそうです。そして、この三つの脳内物質には優先順位がありセロトニン的幸福→オキシトシン的幸福→ドーパミン的幸福の順。セロトニン的幸福とは心と体の健康。オキシトシン的幸福とはつながり・愛。ドーパミン的幸福とは成功・お金。つまり、健康とはモラロジーでいう心の健康、長命は体の健康(セロトニン)。開運は人心開発救済をすることにより運命をよくすること。つまり、他者との関係や繋がりにより、思いやりの心・愛が生まれる(オキシトシン)。そして、成功とは地位や名誉・お金の成功もあるが、モラロジーで言えば、自分の品性向上、最高道徳実行や自己肯定感から自分自身の成功感が生まれる(ドーパミン)。以上のようにモラロジーの幸福感が科学的に証明されてきたと思います。稲盛和夫さんの言葉「さまざまに苦を味わい、悲しみ、悩み、もがきながらも、生きる喜び、楽しみも知り、幸福を手に入れる。そのようなもろもろの様相をくり返しながら、一度きりしかない現世の生を懸命に生きていく。その体験、その過程を磨き砂としておのれの心を磨き上げ、人生を生きはじめたころの魂よりも、その幕を閉じようとするときの魂のありようをわずかなりとも高める-それができれば、それだけでわれわれの人生は十分に生きた価値があるというものです。」

令和5年6月『伝統』

6月4日モラロジー教育財団の行事「伝統の日」に出席しました。「伝統の日」は、人々の安心・平和・幸福の実現という、モラロジー創建の目的を再確認し、皆様と共にその実現に向けて力を尽くすことを決意する日とされています。様々な伝統そして多くの恩人や先人・先輩の計り知れない恩恵によって、今日私たちが享受している豊かな文化と生活が築かれ、維持されてきました。その伝統の恩恵に気づき、感謝と報恩の誠を尽くすとともに、人を慈しみ育てる心を継承し、家庭の安定と国の平和の実現を確認する日です。そして、この週にまた偶然にも小学校3年の道徳の授業で「ヌチヌグスージ(いのちのまつり」がありました。沖縄には墓参り行事としてご先祖さまからつながる命を大切にする、そんな沖縄の伝統が「いのちのまつり〜ヌチヌグスージ〜」。いのちのつながりに対する児童への質問「ご祖先様の数を数えながらどんなことを考えたか」。答えは「御祖先様を背負っていく」「ご祖先様の為に生まれた」「ご祖先様に感謝」という感想でした。担任には素晴らしい授業でしたと感想を伝えました。 親・祖先、先人・先輩への感謝が伝わったと嬉しく思いました。さて、自分がどれだけ伝統に感謝しているか、まだまだ胸を張って言えない現在です。見える恩、人にしていただいた事についてはお返しをしなくてはと思いますが、見えない恩、親・祖先、先人先輩については難しく実行できていないと思います。小恩には気づくが大恩には気づきにくいと言われています。様々な人にご指導いただき、今の自分が出来ました。その一人が叔父の故坂田新吉です。その叔父から1975年当時のベストセラーの“フュチャーショック(未来の衝撃)”を読みなさいと言われました.この本は大学院でも使用し、叔父の凄さに感心しました。その後、我が家のモラロジー勉強会の講師もお願いしました。ご病気で入院しお見舞いした際の別れ際に私どもに向かって手を合わせてくれました。様々なことで悩んだ時に叔父の顔を思い出します。ニコニコ笑って良かったねと言ってくれるのです。そんな教えを頂いた叔父にも感謝です。

令和5年5月『いかに生きたらいいか』

今回の巻頭言の内容を何にしようかと考えていたところ、高田好胤さんの「心 -いかに生きたらいいか-」が目に留まりました。私も60年近く前に新幹線ができる前の修学旅行列車に乗って京都・奈良に行き、薬師寺にて高田好胤管主の法話をお聞きしました。好胤さんは秋の修学旅行シーズンが終わった11月の半ばすぎに歯を磨きながら、ああ今年も修学旅行のシーズンが終わったのだなあと感慨にふけっていたそうです。すると突然にグッと胸がいっぱいになり、涙があふれ次から次へと涙は頬を伝わり落ちてきた。好胤さんはガラスの中でとめどもなく涙を流している自分を見ながら、「ああ目に見えない幸せということはこのことなんだなあ」と思ったそうです。苦労によってのみ得られる、見えざる幸せ。今日、私たちは幸せというと、目に見える物質的なものの中にだけ追い求めています。だが、これが本当の幸せなのでしょうか。「私は真の幸福とは目に見えないところにあるのだと言いたいのです。そして、そういう幸福を感じられる心は、お互いの苦労と努力、そして辛抱によってのみ得られるのであります。そのことを、私は晩秋の夜、一人で歯を磨きながら実感として感じ、そして突き上げられるように涙があふれ出したのです。私はこれまで修学旅行の生徒の心に種をまくつもりで話をしてきたが、種をまかれたのは私自身ではなかったろうか。子供たちの中に種をまいていると思ってきたのは、私の思い上がり以外の何ものでもない。私自身がこれまで相手をしてきた何百万人かの子供たちによって、心に種をまいてもらってきたのだ。私はそう気づいたのであります。」と好胤さんはおっしゃっています。他者のための活動が実は自分自身の幸福につながるということ。毎日毎日種まきをする努力が幸福につながると教えられました。また、学祖廣池千九郎は「自分だけの考えで他者への慈悲心なく、社会的活動の第一線から退いて世を益することに努力しなければその存在価値は乏しい。」とおっしゃっています。70歳を過ぎても社会活動に努力しなければならないという戒めを戴きました。

令和5年4月『共感障害』

2月の大久保塾でお話しいただいたレジリエンス研究所の深谷純子コーチは、若者にミラーニューロンが不活発な状態「共感障害」が出てきたと話されました。この「共感障害」とは、人の気持ちを感知する能力が欠損していたり、人の意識や所作を感じることができなかったりする症状をいうそうです。具体的には、相手の気持ちが理解できない・リアクションが薄い・相手をイライラさせる・言われたことしかできない・空気が読めない・気働きができないなどです。黒川伊保子氏は「1997年生まれ以降の世代に。「共感障害」の比率が上がっている。思えば、1997年生まれが社会人になったころから、新人の反応が弱い問題が語られ始めた。」と述べています。1997年は携帯のメールサービスが開始した年。よく母親が子供の前でスマホをいじっている姿をよく目にします。そして、スマホ授乳などという言葉もあります。これでは母と子の心が通じにくくなる。表情をそろえるってことは心が通じるってことです。表情が写ると、相手の脳と連動することになり、心が「本当に」通じると言われています。目の前の人の幸福を、本当に幸せだと感じ、目の前の人の悲しみを、本当に悲しいと感じる。それは、ミラーニューロンが創り出す奇跡なのです。母と子が、いつまでも心を通じ合わせるためには、赤ちゃん期にどれだけお母さんと表情をそろえたかが基礎になるそうです。そして、現在の小学校にあがってきた子どもたちも、空気が読めない、相手の気持ちが理解できないという状況になっていると思います。相手に対してひどい言葉を発してしまうし、相手を叩いたり蹴ったりしても平気な様子。そんな中、親からの苦情もあり叱る事を躊躇してしまう先生方。当然叱るべき問題行動でも注意をしないとクラス中が何をやっても大丈夫。そんな環境で育った子供たちは、空気を読んで行動できるなどありえない。相手の気持ちを察して行動するということは、前号に書いた「和」の精神であり周囲の事を大事にする心づかいであります。「惻隠は仁の端なり」、相手の身になって心配するという、道徳の第一歩が消えてしまうのが心配です。

令和5年3月『「わ」の国の「和」の精神』

ニューモラル1月号に“「和」を大切にする生き方”というテーマがありました。この「和」は私の好きな文字の一つです。現職のとき、卒業生のアルバムに一言書いて下さいと言われてこの「和」を書いていました。書きやすいこともあるし、私の高校の恩師の名字が和(かのう)先生だったのでこの字が好きになりました。それ以上に私自身も和を大事にしてきました。中学からバスケットボールをやっていてチームワークの大事さ。そして、自分がチームの中で周りの仲間のためにするプレーをしていたプレーヤーだったのでこの和を大事にしていたと思います。スポーツでは盛んにオールジャパンとかチームジャパンと言ってチームゲームで実力以上の成績を出しているのも、この和の精神が原点にあるからだと感じます。ニューモラルにも在りましたが、聖徳太子は十七条憲法中で「和の精神」を説いています。わが国のあり方、国柄を表現した。憲法第一条は、「和をもつて貴しとなし・・・」。その意味は「お互いの心が和らいで協力するのが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。(略)人々が上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらはおのずから道理にかない、何ごとも成し遂げられないことはない」という内容です。心が和らいで協力する、つまり慈悲の精神で国民がまとまりなさいということだと思います。また、その以前の日本書紀によると初代神武天皇が奈良の橿原に都を建てられた時に出された「橿原奠都の詔(かしはらてんとのみことのり)」に八紘為宇(はっこういう)「天下を一つの家のようにすること」という言葉があります。この言葉と同じ意味に「大和」があります。大きな和という意味に取れます。日本人の和を尊ぶことはこの建国の理念に行きつくと葛城奈海は言っています。さて、この和の精神は現在どのようになっているでしょうか。家族主義が失われ個人主義が正しいと考えられ、個人情報と言って周囲の事は何も知ることができない。小学生を見ていて汚い言葉で相手を打つたり、周囲の事を大事にする心が見られない。国を一つの家のように考えるとは程遠いと感じます。

令和5年2月『鳶目兎耳』

いよいよ令和5年兎年が始まりました。コロナの完全終息は考えられない現在、日々の暮らしを変えずに集団免疫で乗り越えるということなのでしょうか。私たち夫婦は未だにコロナに感染しておらず、ワクチン接種で不安を消しています。なにより自分の免疫力を下げないように心掛け努力をしています。さて今年は兎年。兎を使った慣用句には脱兎のごとく(非常に速いこと)や兎に角(ウサギに角がないことからあり得ないこと)がありますが、「鳶目兎耳(えんもくとじ)」という熟語あります。鳶のように遠くのものまで見分けることのできる目と、小さな音を聞き分けることのできる兎のような耳という意味。要するに情報収集能力が高い人や、そのような事柄を意味する言葉です。コロナ禍での新しい生活習慣、兎の耳をもって将来の情報を得て、鳶のような目を持って判断していきたいものです。今だからこそ鳶目兎耳の能力が大変重要のように思います。以前、喜光寺小林澤應副住職の法話でお聞きした内容で中国の自然哲学「五行思想」のお話がありました。古代中国の五行思想は、春は青春、夏は朱夏、秋は白秋、冬を玄冬といっています。これを、人生に当てはめたもので青春(15~30代)15歳前後の若者は未熟ですが、物事を学んであらゆる将来を望める年代。そのため草木が伸びる季節である春が当てはめられた。朱夏(30~50代)働き盛りです。仕事や生活で頑張りつつ、自分がどういう人間なのかを知る年代。白秋(50代後半~60代後半)秋の静けさのように落ち着き、冬に備えるように知識や経験を次の世代へ残す年代。心も落ちつき、人の言葉を素直に聞くことが出来る年代だと考えられます。そして、玄冬(60代後半以降)人生を完成させる年代で、次の世代に願いを残す年代です。論語には五十にして天命を知る、六十にして耳従う、七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えずとあります。玄冬の年代、七十代は思うがままに振る舞っても道を外れない。鳶目兎耳を研ぎ澄ませて、そんな年の取り方をしたいものです。

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