日本橋モラロジー事務所、代表世話人からのご挨拶

日本橋モラロジー事務所代表世話人 大久保 章

令和3年1月1日

 明けましておめでとうございます。昨年はコロナ感染の不安な一年でした。今年は皆様が安心できる一年になるようお祈り申し上げます。さて、学祖廣池千九郎が残された言葉に「先辛苦成家後昆安焉 祖先積善余徳子孫得道」『祖先辛苦して家を成し、後昆(子孫)これに安んず。祖先善を積み徳を余し、子孫道を得。』があります。まさに長者三代続かずで、祖父は苦労して財産を作り、子はその遺風を受けて守るが三代目の孫は贅沢になり家産を傾ける。一方、祖父が道徳的な善い行いをしていけば、道徳心(徳)が子に残り子孫にその道徳心が繋がっていき、道徳的な家系が続いていく。昨年からのコロナ禍の中で、自分たちの行動が試されている気がします。日本人として道徳的な行動を目指すためにも、是非ともモラロジーをご一緒に学びましょう。

 


代表コラム


十牛図

  

新年おめでとうございます。昨年から続くコロナ禍の中、今年は良い年になりますようお祈り申し上げます。さて、今年は丑年。牛は昔から人間の生活に欠かせない動物。勤勉によく働く姿が「誠実さ」を象徴し、身近にいる縁起の良い動物として十二支に加えられたと言われています。また「紐」という漢字に「丑」の字が使われ、「結ぶ」や「つかむ」などの意味を込めたとも考えられているそうです。丑年にちなんで、中国・北宋時代の禅師、廓庵が創作した「十牛図」という絵を話題にしてみました。十牛図は逃げ出した牛を探し求める牧人の様子を、段階的に描いた十枚の絵です。描写されている「牛」は「本当の自分」の象徴で、牛を探し求める牧人は「真の自己を究明する自分」を例えたものです。この十枚をモラロジー的に考えてみました。第一図:牛を尋ね探す図。牛の一頭が逃げ出したため、牛を探すために捜索に出かけます。

々が自分の幸福を探している姿。第二図:牛の足跡を見つける図。牧人は牛の足跡を見つけます。牛の足跡とは、釈迦の教えである自灯明を表していると解釈されます。モラロジーに初めて接する機会を得た。第三図:牛を見つける図。牛の後ろ姿を牧人が発見します。モラロジーを真剣に学び始める状態。第四図:牛を捕まえる図。牧人は綱をつけて牛を捕らえましたが、逃げ出そうと暴れる牛と格闘が始まります。モラロジーを学んでもなかなか利己心が抜けない状態。第五図:牛を飼いならす図。牧人は暴れる牛を綱と鞭でてなずけました。やっと自分の心の中に慈悲心が生まれ思いやりの心を発揮できるようになる。第六図:牛に乗って家に帰る図。牧人はおとなしくなった牛に乗り、楽しげに横笛を吹きながら家路につきます。モラロジーの原理を十分に理解し、実行できる状態。第七図:あるがままに生きる図(牛は図の中に居ず牧人だけが描かれている)。

々が自分の幸福を探している姿。第二図:牛の足跡を見つける図。牧人は牛の足跡を見つけます。牛の足跡とは、釈迦の教えである自灯明を表していると解釈されます。モラロジーに初めて接する機会を得た。第三図:牛を見つける図。牛の後ろ姿を牧人が発見します。モラロジーを真剣に学び始める状態。第四図:牛を捕まえる図。牧人は綱をつけて牛を捕らえましたが、逃げ出そうと暴れる牛と格闘が始まります。モラロジーを学んでもなかなか利己心が抜けない状態。第五図:牛を飼いならす図。牧人は暴れる牛を綱と鞭でてなずけました。やっと自分の心の中に慈悲心が生まれ思いやりの心を発揮できるようになる。第六図:牛に乗って家に帰る図。牧人はおとなしくなった牛に乗り、楽しげに横笛を吹きながら家路につきます。モラロジーの原理を十分に理解し、実行できる状態。第七図:あるがままに生きる図(牛は図の中に居ず牧人だけが描かれている)。

令和三年一月


確かな標準を持つ

  

朝、出勤前には長い間ある放送局のラジオを聴いていた。最近、その番組の中での発言が国や内閣への批判や反対ばかりで、非常に聞き苦しくなってきたので放送局を変えました。私は東京都の教員になった時に東京都高等学校教職員組合、いわゆる組合に入りました。先輩たちが皆入っていて、組合員になるのが当たり前でした。当時の社会科のある教員が生徒の評価をオール5にして東京都教育委員会から指導を受けていました。今考えると、この評価も生徒全員が5に値するというのではなく、政治的・思想的な考えのもとの行為だと思いました。モラロジーを学んできて、当時の学校を振り返ってみると、やはりそれぞれが批判や反対ばかりで建設的な考え方がほとんどありませんでした。そういう時代だったのかもしれません。そして、現在でもマスコミも批判ばかり。テレビでもある一場面が意図的に移していて、私たちの意識を操作している感じがします。このように思える

私がモラロジーの学びで師事している故松浦勝治郎のお言葉で「モラロジーを学び、最高道徳の実行を志す人たちには、特別な使命があります。その使命の中心は、自己本位の利己的な考え方・生き方を改めて、最高道徳の慈悲心を養うことにあります。その最高道徳の心の修養に欠くことができないものの一つが確かな正しい標準を持ち続けること。」また、道徳科学の論文にも「善悪の標準を明らかにするものがないため、一般民衆、政治家その他一国の識者といえども、自己もしくは自己所属の利益を標準として行動するものが多いのであります。かくてその中には比較的公平なる人にても、ある事件に直面する場合に、これをいかに処置すれば真の道徳に適合するかということに迷い、ついに不完全なる自己の臆断に従うこともあるのです。」とあります。

もしかすると年を重ねないと確かな標準を持つのは難しいかもしれません。是非、若い方々に早く標準を確立してほしいと思います。確かな標準を持つことが自分の心に安心・平和・幸福をもたらしてくれると思います。
令和2年が終了します。今年はコロナ禍で大変な年でした。来年は皆様にとって良い年でありますようお祈り申し上げます。

令和二年十二月


うまいバトンタッチ

  

平成11年(1999年)12月28日に父が他界しました。それから21年が経ち、今の自分を考えてみました。父が他界するまではほとんどモラロジーに関わっていませんでした。父に進められて研究所での教育者研究会に2度ほど参加しましたが、昔の寮で夜もあまり眠れずにあまりいい思い出ではありません。
そして、亡くなる年の2月に御殿場センターが閉鎖になることもあって講座を受講しました。というよりは、父の御殿場センターへの出講に妻が運転手・カバン持ちとして参加していたのです。だから自分も参加しなければという気持ちになっていました。寮の部屋では参加者の方に私が教員であることを知らずに日教組や教員を悪く言われました。

これは少し皆さんの誤解を説かなければと、自然に積極的に参加し始めました。そして、その頃に緑町の築50年の我が家を建て直そうと考えました。改築に当たり、父の開催している大久保塾の場所がないことを知り、開催場所を作るから改築の費用を少し援助してほしいと頼みました。まだ父の名義であった土地の権利書を借りる際には、借用書をきちんと書きなさいと怒られました。記憶の中で怒られたのは最初で最後だったと思います。そして、家が建ち始めると同時に父の健康状態が悪くなっていきました。11月の終わりころだったと思います。父が一時退院できると聞いて、一度建築中の家を見てほしいと頼みましたが結局一度も見ずに他界してしまいました。この出来事が私のモラロジーへのきっかけです。

父が使うはずだった事務所を残った私がモラロジー活動で活用しなければならないということになったわけです。更に、父の葬儀の際に葬儀委員長であって先輩が控室の母のところに来て「このうちの子どもは誰もモラロジーをやっていないではないか」と大きな声で指摘されました。兄は葬儀のことで忙しくしており、傍にいた私がこれに答えなければならない状況でした。「大丈夫です。私がやります」と答えてしまいました。その後、わが家の事務所を大久保ホールと命名し、大久保塾を開催。事務所の先輩たちから私を塾長にということでモラロジーを深く学び始めたのです。

令和二年十一月


だれでも・いつでもできる最高道徳

  

日本橋だより前号の『父の講義に「運命を良くしなければつまらぬ」というフレーズ』。さて日々の生活の中でどのようにすれば運命をよく出来るのか考えてしまいました。私たちは毎日の行動はすべて他者の為。モラロジー的に考えると我々は24時間、他者の為に行動しているのだと思います。睡眠や食事は他者のために働く健康づくりの為、仕事は他者・社会を益するため。オリーブの会のあるお母さまが「自分の体調が悪く寝込んでしまいたかったが、自分が寝てしまうと子どもやご主人の面倒がみられない。」とお話されました。食事を作ってもらっている私からすると、妻の最高道徳実行を頂いているわけです。

いつも私の健康に気づかい、私の好きなものを料理してくれることは、心づかいなんだと気がつきました。昔、母の料理を父は毎日「おいしい、おいしい」と言っていました。当時、私は毎日そんなに言わなくても良いと思っていました。特に、小さい頃自分が嫌いな料理が出てきたりすると、おいしいとは思いませんでした。今考えるとそれが母に対する父の感謝の言葉だったと思います。講義の中でいつでもできる最高道徳と聞きますが、「最高道徳」のほうではなく「いつでもできる」の方を注目しなければ運命は良くならないことに気づきました。すわち、24時間だれでも・いつでも最高道徳を実行しなければならないと思います。博士の言葉に「毎日一分ずつ己を損して人を益すれば、一か月に三十分、一か年に三百六十五分の徳を積みえるなり。

ゆえに得は徳なり。」また、故松浦勝治郎講師の文章に「最高道徳の修養に徹するに心を定めることです。それだけですぐに実行ができるようにはなれませんが、その心が定まるだけで、日々の生活の中で起こることと出会うことで、最高道徳の実行と無関係のことは何もないこととなり、いかなることにも、道徳を実行して品性を高めるために恵まれた機会としての意味が生じます。」論文には「日常の小事に対する精神作用の累積は直接には自己の健康・長命及び人望に影響し、且つ己の従事する事業の成敗に関する。」

令和二年十月


運命

  

前号の「天は自ら助くる者を助く」は廣池千九郎の遺墨「八面玲瓏」の「自助」の説明にあります。「この格言は千古不易の教訓です。運命の改善は、自らの努力で実現すべきものです。自分に有利な法律ができたとか、資本金がたくさんできたとか、あるいは大きな団体の後援が得られたとしても、それは形の上の空虚な保護に過ぎず、自分自身の品性が高くなければ、運命の改善はできません。たとえ、どのような法律のもと、どのような境遇にあっても、神を信じ、最高道徳を実行して自分の品性を高め、目的に向かって進めれば、安心と幸福の実現は火を見るより明らかです。」という記述があり前号に書き、今回補足いたします。

私の記憶の中での父の講義に「運命を良くしなければつまらぬ」というフレーズが頭に残っています。この運命について私が2年前に急性心筋梗塞を患ったときに、身にしみて感じました。それは母から頂いた手紙を読んで実感しました。「大久保章様 此の度は思いかけず命のかかる危険な体験から無事戻られた事言葉もありません。誰もが遭遇する事ではなく倒れた場所、救急な事態を助けて下さった通りすがりの人、一刻を争う心臓の処置の為近くに信頼出来る病院が有った事等大きな力を戴いて再生出来た事に偶然と言いきれない思いです。昔の手術と違い傷も小さいので快復も早い事と思いますが今はゆっくりあせらず全快の日を迎える事を祈っております。唯運がよかったでは済まされない運命を痛感しています」自分の運命は神様任せ。親祖先が積み上げた徳と、自分の少しの実行がこの時の運命を決めた気がします。

博士は昭和10年4月道徳科学専攻塾入塾式にて「人間は誰にでも運命というものがあって、よい運命の人は何をしてもうまくいくが、運命の悪い人は何をやってもうまくいかぬ。だから、人間は何をおいてもまず運命の良い人にならなければつまらん。人間の運命は、その人の心づかいと行い、すなわち品性によってよくもなれば悪くもなる。まずしい家、あるいは運命の悪い家に生まれた人でも、その人の心がけによっては良くもなり、立派な家柄に生まれた人でも、その人の精神作用が悪ければ没落する。どういう心づかいや行いをすれば運命がよくなるか、それを教えるのがモラロジーじゃ。モラロジーは開運の学問です。」とおっしゃっています。

令和二年九月


自助

  

7月11日に妻の幼稚園の勉強家「オリーブの会」をコロナ禍の中、開催しました。ある参加者の息子さんが今年大学一年生。このコロナ禍の影響でWEB授業をしているのかとお聞きしたら、ユニバーシティ(規模の大きい総合大学)のサーバーの容量が小さくてほとんど授業がないとのこと。レポート提出も時間が限られているそうです。東京都の公立高校の場合も同様で、なかなかスムーズにWEB授業ができなかったようです。政府が進めているコロナ追跡アプリ(COCOA)においても、アプリの不具合により、陽性登録できない場合があるため、7月11日から陽性者としてアプリに登録するために必要な処理番号の発行を一時停止したそうです。

結局、私たちが習ったわが国の歴史では、西欧の革命的なことはなく、庶民の側から国を変えてきたと習いました。私たち一人ひとりの行動が重要だと思うのです。何度か日本橋だよりに寄稿されている深谷純子さんのお話で、進藤奈邦子さん(WHO)のラジオでのコメントをメモしたもの。「日本やアジアで感染者、死者が少ない理由について。感染者の多い地域(欧州や北米)は、トップダウンで対策を進めている。政府主導。日本は一人ひとりが良い行いをしようとするボトムアップで取り組んでいる。欧米は、感染は対岸の火事、他人事、自分たちは大丈夫との思いがあり、人々の中に感染症対策の意識が浸透していなかったのではないか。インフルエンザ対策キャンペーンを毎年行っている日本。子どものころから、手洗い、うがい、衛生管理がすばらしい。教育の力。学校やコミュニティ(保健所)の力が素晴らしい。」

そして、妻の幼稚園では「子ども達には感染予防マニュアルを伝えています。手洗い、うがいの方法、並ぶときには間隔を開ける等など。何といっても、長い3か月のお休みの間にご家庭で上手にお母さま達が教えてくださったお陰で、子どもの手洗い等は驚くほどに上手に習慣化しています。自分で身を守る=自助力をつけることは、幼児教育の大切なテーマです。」と言っています。モラロジー概論には「私たちの社会は、自立と連携の調和の上に成り立っています。社会が健全に機能するためには、一人ひとりが自立的に生きることが必要です。そして、真の自立とは、むしろ他者との緊密な相互依存・相互扶助の関係を築いていくことの中に生まれてくるのです。「おたがいさま」「おかげさま」という言葉に象徴されるように、人間は本質的に、他の人々に支えられなければ生きられない存在です。家族をはじめとして友人や仲間、隣人、さらには異文化の人々とも心を通わせ、たがいに敬意を持って助け合い、連帯することが、人間として生きるための基本といえます。このような自立と連携の調和を実現していくのは、自助・共助・公助の行動です。自助とは、自分で対応できる個人的な課題はみずから解決を図ることです。健康に留意し、勤勉に働き、家庭を運営し、人生を全うする努力は自助にあたります。共助は、地域社会やその他の団体などを通じて人々が行う相互扶助です。公助は、国や地方自治体による支援で、これは国民同士が公的機関を通じて行う相互扶助です。」この自助とは「天は自ら助くる者を助く」ということ。今回の災害では、自らを助けるとは自ら身を守るということ。そして、モラロジーでは最高道徳の実行であり、相互依存・相互扶助という意味だと思います。

令和二年八月


大久保塾

  

コロナ禍でリモートワークが盛んになってきました。わが家も何とかPCにカメラを付けたり、ノートPCを揃えてリモートワークを始めました。そして、リモートワークをしてみると、画面を通して遠い人とも話し合ができることに気がつきました。そこで、仙台にいる友人の女性で日本橋モラロジー事務所の維持員でもある方に入っていただいて、5月30日(土)に今年度最初の大久保塾を開催しました。参加者のお一人中山恵介氏は、以前からコロナ禍の影響で劇的に社会が変化するとおっしゃっていました。今回の塾でもその変化について企業や学校、人々の消費額の減少等の変化を指摘されていました。また、その変化についていかなければ社会から取り残されてしまう。

このリモートワークが大きな変化の一つと。そして、今後のことについて深谷純子氏がIBMの例を挙げてお話していました。IBMはヤフーに続き、2017年5月にリモートワーク禁止に方針転換したそうです。やはり、廃止に舵を切るのは、「チームワーク」や「一体感」「コミュニケーション」が不足がちになるためのようです。教訓抄に「事を謀るは人に在り、事を成すには天に在り」われわれはいろいろな計画を立てますが、しかし、その事の成否は、人間の学力・知力・筋力・権力によるのではなくして、すべて最高道徳実行の累積とその結果である徳の如何にかかるものであるという教えであります。結局、社会は劇的に変化しつつも、最後はその人・その家庭・その企業自身であると思います。モラロジーは人との関わり方を教えていますが、人と人がなぜ繋がらなければならないかという前提については述べられていません。

人と人は関わるものということが大前提だから、その次の段階の暮らし方(最高道徳実行の心づかい)について書かれていると思います。WEBでのつながりも重要ですが、やはり人と人が顔を突き合わせて社会を作ることが大切だと思うのです。触れ合いがなかったらどういうことになるか、それが「フレデリック大王の実験」です。産業革命後のヨーロッパは捨て子が多くて、それを修道院に入れて修道士が育てました。フレデリック大王はあるとき修道士にマスクをさせて、赤ちゃんが目を見ても一切目を見てはいけない、笑いかけても笑ってはいけない、語りかけてもいけないと、触れ合いを一切しないで赤ちゃんを育てる実験をしたのです。そうしたら、実験が終わらない間に子どもはみんな死んでしまったというのです。また、非言語コミュニケーションということからも人と人の関係性が重要だと思うのです。非言語コミュニケーションとは言葉を使うコミュニケーション以外の意思伝達方法を指し、他者とコミュニケーションを図る上で、表情や顔色、声のトーン、話す速度、ジェスチャー、視線などは、言葉以上に大きな役割を果たしています。特に、人はコミュニケーションを取るときには、受け取る情報を100とすると、相手から発せられる言語の内容である「言語情報」からはたったの7%、声のトーンや口調、大きさ、話す速さなどの「聴覚情報」から38%、そして相手のジェスチャーや視線、表情といった「視覚情報」から55%の情報を受けています。つまり、WEBなどの画面上では、本当のコミュニケーションが取れるかどうか疑問だと思うのです。そんなことを考えると、今後の新しい生活をどのようにしていけばよいか、思案してしまいます。

令和二年七月


新しい生活様式

  

6月の入り緊急事態宣言も解除され(5月22日現在での予想)、少しずつ元の生活に戻れそうですが皆様はいかがお過ごしですか。世界の感染者が504万9390人余り確認され、死者数は32万9799人。我が国は累計感染者数 1万6424人、死亡者数 777人。この数の差は何なのか考えてしまいます。PCR検査数が少ないと言われていますが、それでも世界と比べて大変少ないと思います。やはり日本人の国民性が感染者を少なくしていると思うのです。諸外国の生活習慣には身体接触をする挨拶やマスク着用の習慣がないことで、感染が拡大したと言われています。日本では日本人の道徳性が感染者を増やさないでいると思うのです。リーダーが緊急事態宣言を出したら必ず守る人たちが多い。3密を避けてと言われれば実行する。マスクは感染しないようにではなく、人に移さないために着用する。

思いやりの心をもつ人が多いので感染拡大を防いでいるのではないでしょうか。最近、営業する店舗に貼り紙をして脅す。県外ナンバーの車に嫌がらせをする、自粛警察と言われる危ない正義感があるようです。モラロジーでいう人間的正義で人を打っている人たちですね。廣池博士のいわれる宇宙的正義、深い慈悲心で対応すればこのようなこともなくなるはずです。4月下旬に日本橋だより編集者の中山氏に、これから日本は劇的に変わると言われました。公務員を40年もしていた私にはその劇的な変化の予想が付きません。厚生労働省がこれからは新しい生活様式の実践例を発表しました。感染防止の3つの基本:(1)身体的距離の確保、(2)マスクの着用、(3)手洗い。移動に関する感染対策等を挙げています。

思いやりの心をもつ人が多いので感染拡大を防いでいるのではないでしょうか。最近、営業する店舗に貼り紙をして脅す。県外ナンバーの車に嫌がらせをする、自粛警察と言われる危ない正義感があるようです。モラロジーでいう人間的正義で人を打っている人たちですね。廣池博士のいわれる宇宙的正義、深い慈悲心で対応すればこのようなこともなくなるはずです。4月下旬に日本橋だより編集者の中山氏に、これから日本は劇的に変わると言われました。公務員を40年もしていた私にはその劇的な変化の予想が付きません。厚生労働省がこれからは新しい生活様式の実践例を発表しました。感染防止の3つの基本:(1)身体的距離の確保、(2)マスクの着用、(3)手洗い。移動に関する感染対策等を挙げています。

令和二年六月


精神作用と伝染病との関係

  

20年近く前に同僚の生物の先生が「人間はアレルギーかウイルスで死に絶える」と言っていた言葉を思い出しました。この新型コロナ問題を自然の法則を信じている私は、不謹慎ではあるが「自然淘汰」なのかもしれないとも考えてしまいます。問題の新型コロナウイルスによる感染症は、感染してもほとんどの人は軽症で治るようです。感染者の約2割が重症化するのはなぜなのか。それはその人の免疫系の関係や遺伝的な要因とも言われています。私は高校の保健の授業の単元「薬害」の項目で、自然治癒能力(人間が生まれながらに持っている病に打ち勝つ力)を説いていました。自分自身があまり薬に頼らない性格で、風邪は寝て直すという考え方。現在の感染も自分の免疫力、自然治癒能力を信じることで何となく安心しています。

ところで、廣池千九郎博士の体験で、大正五、六年のころ流感=肺炎が全国に広まったそうです。たくさんの患者がいる中で一人の患者の頭をなぜたが伝染しなかった。また、小山の工場でたくさんの病人ができた所へ行き、腸チフスの病人の中で、十一日間、昼夜話して回ったが、腸チフスも感染しなったそうです。そして、大正九年横須賀市長から当時「非常に流行病が流行して、市中の人心が兢兢(きょうきょう:びくびくして安心できないさま)として、不安で困っていた中で、五日間もお話をした。全く四方が患者であった中でやったそうです。この体験から博士は病気が伝染しなかったのは精神が慈悲至誠の精神、犠牲の精神であるからであると言われています。

科学的ではない体験ですので、将来科学的に証明すべしと『道徳科学の論文』第3緒言第2条「将来モラロジー研究所において引き続き研究を必要とする諸項目の大要」の中に「精神作用と伝染病との関係につきての研究」が書かれています。何はともあれ、新型コロナに感染しないように十分注意してください。そして、モラロジーで学んでいる心づかいとポジティブシンキング(プラス思考)で、感染しても発症しない健康な心身を心がけましょう。

令和二年五月


有備無患―備えあれば憂いなし―

  

2月14日に小学校の避難訓練がありました。訓練は全国瞬時警報システム(Jアラート)によるミサイル攻撃を想定した避難訓練でした。こんな時代が来たのだと驚きを感じました。しかし、3月11日の東日本大震災から被災地支援を行ってきた私としては、準備は十分なほどしておいた方が良いと思っています。東日本大震災の5月の支援で仮設住宅にいる方の一言が忘れられません。「避難指示に従って避難していれば、皆助かったのに。私の家より海側の人は、皆逃げ遅れてしまったの。」今回の新型コロナウィルスについては、前号での中山恵介氏の言葉通り「現状の状況はれっきとした災害です。」この災害について私たちは正しい指示・情報を聞いて、備えなければならないと感じています。偶然、2月29日に妻とコストコに行く予定があり、自宅の冷凍庫に一杯になるように食料品、トイレットペーパーやガソリン満タンとしてきました。

マスクは私が花粉症のために2箱自宅にストックしてあります。2月28日に安倍首相が出した3月2日からの小中学校の休校について、2月19日の時点で前号の深谷さんからのメールで私は予想していました。小中学校の休校、その後の様々な行事中止について、マスコミは突然の要請と言っていました。残念ながらマスコミも、もう少し情報をしっかり入れてほしいものです。2月19日の時点で一般人である我々が想定していることが、マスコミに伝える人がいなかったのでしょうか?四書の大学の言葉に『心ここにあらざれば視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず』があります。心がここになければ災害という言葉も視えず、聞こえず、対処も分からないものということなのです。正しい情報に従うこと。何もなかったことが素晴らしいことで、何か被害があってからでは遅いのです。因みに、我が家の洪水予想水位は2.1m、津波による予想水位は

因みに、我が家の洪水予想水位は2.1m、津波による予想水位は4m。私は5mを想定して防災用品を準備しています。今回、いい機会だったのでポータブル電源を購入しました。これで非常時に1週間は携帯電話が使用できます。

令和二年四月

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